私はどちらかと言われればワンちゃん、犬が好きです。たとえば、盲導犬のしっぽは毛がフサフサで魅力たっぷりです。彼らは視覚障害者の生活を補助するのが仕事なので、可愛いからと言って
撫でたり触ったりすると、気が散り本来の仕事ができなくなります。だから、自分から触るようなことはしませんが、盲導犬が歩いていると、近づいて行きしっぽの振れを見計らってそばに寄ります。私の足に彼らのしっぽが当たる感触は、もう気持ちがいいってもんじやぁありせん。
私の妻は猫が好きで、野良猫を一年程面倒をみていました。この猫がまたひ弱でよく病気はするし、他の猫にかまれて一時は下半身が麻痺して一生治らないと宣告されました。奇跡的にも麻痺は治り、以前より元気になりました。クロはなぜか私と連れ合いになつき、同じ場所であくびをしたり身づくろいをしたり丸くなって寝ていたり、これが野良猫かと思うほどリラックスしている風で、いつのまにか「クロはまだかぁ」とかすっかり我が家にとけ込み、「クロの居場所」ができたのです。猫はデリケートで自分の場所を変えられるのを嫌います。
その「クロ」がある日を境にいなくなりました。猫は突然放浪する習性があり、2、3日して帰ってくることもありますが、帰ってこないこともよくあります。まだ帰ってこないことを考えると、新天地の縄張りを求めていったのでしょう。その日以来「クロの居場所」がなにかものがなしくて、改めて「居場所」、物でも犬でも猫でも人でも「居場所」の存在、あるべきものがないことの精神的な繋がり、精神性のよりどころの重要性を痛切に思い知らされました。なにより「クロの居場所」の空間の温もりがいつまでもあるのです。
「空間」とは何もないものではなくて、そこにあったものの温もりがあり、私たちはあえてそれを無視しているのではないのかと。私は句を作る時、そこに触って、時には座り、空気をいっぱい吸い込みます。いわばその「空間」の存在感やどんな場所であるかを知ろうとします。生物は物理的にはいつか無くなりますが、精神性の「空間」はなくならないでしょう。もしクロが戻ってきたらご報告します。
【妻のひと言】
クロがいなくなってから、しばらく経ちます。人なつこくて、のんびりした可愛い猫でした。夫婦そろって帰りを待ちわびましたが、いまだに戻ってきません。そうするうちに、主人が「また、真っ黒の猫が欲しい。」と駄々をこね始めました。
仕方がないので、インターネットで探して仔猫をもらいました。ところが、黒猫という触れ込みだったその子は、引き取ってみるとグレーと黒のダンダラ模様で、「真っ黒の子でないといやだ。」とまた主人に駄々をこねられて、ほとほと困りました。しかし、ダンダラの子なりに可愛いもので、「くろ吉」と名付けた新しい猫は我が家のアイドルになりました。
さらに、隣家の縁の下から出られなくなった仔猫を助け、その猫まで飼うことになってしまいました。この猫(「ちび太」と名付けました)も、ほぼ黒色だったのですが、やがてくろ吉と同じグレーの縞が現れてしまいました。
主人は「世の中うまく行かんものや。」となげいていますが、猫たちのちょっとした仕草にも「可愛い。」とやに下がり、飼い主バカぶりを発揮しています。