「腑に落ちる・本音と建前ときれいごとと」
石田京愛
私は理屈っぽいところがあります。でも、ある線を越えるとちゃぶ台をひっくり返す的な性格で、根っからの理屈屋ではありません。そうですね、理屈というよりは「腑に落ちる」という表現が一番近い。論理とは関係なくある時「ふっ」と目の前が晴れたように分かるのです。例えば、「きれいごと」について。一般的には「きれいごと」は若者の特権という認識があります。でもそれは間違いで、ある程度年令がいかないと言えないことではないのかと思います。「きれいごと」ということをよくよく考えると、残酷なことも含まれています。それを踏まえた上でないと言えないことです。経験の希薄な人たちには上っ面だけの言葉を羅列したものが「きれいごと」に写り、バカらしいと感じるられるかもしれません。「建前」と感じるかも分かりません。
「きれごと」には別の側面もあるのでないでしょうか。つまり「建前」ということです。建前は、例えば「差別はいけない」とか「人に優しくしようね」とか社会を成り立たせるもの、社会的秩序を維持していくための、社会的共通認識みたいなもの。「建前」と反語のように言われるのが「本音」です。「本音」というのは、その建前のアンチテーゼみたいなもので「差別してもいいじゃん」とか「俺は他人に優しくしたくない」とか、そういう意識レベルです。「本音」はまだ意識レベルとしては浅いと思います。それを自分の本当の「意識」と思っているに過ぎないと。
本音の越えたところにあるのが本当の真実の「意識」であって、私の言う「きれいごと」。字面で騙されてはいけません。先にも言ったように「きれいごと」は残酷なものもあるだろうし、そうでないものもあります。