「障害者よ、襟を正すな!」
人間が出現し、小グループを形成し。そこには共存するためにルールというものが出来ました。これらが発展して社会的共通理念、通念、倫理観等々ができ、人類は共存しています。人間の偉大な叡智の賜でしょう。しかし、時には正しいようで、実は自らを束縛する認識が魑魅魍魎の如く跋扈します。
「襟を正す」、なんと崇高で威厳のある言葉でしょう。社会人たるもの襟を正さなければならないのはその通りでしょう。でも、これをすこし角度を変えて見たらどうでしょう。あまりにも襟を正し過ぎて自らを束縛してしまっているのです。その挙げ句経営苦による大黒柱の自殺、自暴自棄による犯罪等に繋がっています。
障害者は健常者よりも襟を正して生きていかなければならない、という観念があるようです。私はこれを聞いた途端、おぞましさに震えました。もちろん障害者も人間ですから、社会性が必要なのは言うまでもありません。私も最低限の社会性は持っているつもりです。
障害者は健常者よりも襟を正して生きていかなければならない、というのは「まっとうに生きている障害者に迷惑が掛かる」からだそうです。一見正論のように思えます。でも、これではいつか破綻が来ます。ただでさえ機能不全の障害者です。自らの命を縮めているのではないでしょうか。襟を正しすぎて病気や二次障害になればまず家族に迷惑を掛ける結果になります。
私がおぞましく感じたのは、もうひとつ理由があります。なんと独善的な考え方だ、と。この観念は実は利己的ではないか、ということです。つまり他の障害者が何かをしでかすと、自分もそう見られる、という心理から来ているのだと思います。突き詰めていくと、自らを人間と認識しておらず、エイリアンか何かと認めているのではないでしょうか。
なぜ障害者自ら足かせを何重にもはめるのでしょうか。一部のボランティアにもこのような観念があるようです。なぜあなたたちは障害者に何重もの鎧を着せるのですか。
私は声を大にして言いたい。「障害者よ、襟を正すな!」と。