ふていき コラム


第12回(2003.09.10)

              「想像すること」

 今回はつれづれに書き殴ります。若年層の犯罪や猟奇的な犯罪が起こる度に専門家達が躍起になって加害者の心理や理由付けをしています。なぜそんなに理屈を付けたがるのでしょうか。「精神異常」、「家庭不和」、「情緒不安定」等々。
  
  子供は本来想像力が豊かです。私達大人も子供の頃は想像の翼を羽ばたかせて色々工夫して遊んだものです。それが大人の意にそぐわなかったときは大人の都合のよい方に矯正されます。その子供が大人になり、自分のされてきたことを何の疑いもなしに子供達を矯正します。

結局みな大人の論理です。心理学者や精神科医、果てはコメンテーターという名の山師達は言いたい放題です。皆己を正当化してるに過ぎません。そしてその有り難きご託宣を選択する市民も多数の中に安寧を見出すでしょう。自己搾取ですね。情けない。そりゃまあ多数に属していれば楽でしょう。僕にもその欲求がありますから偉そうなことは言えません。しかし決して問題解決にはなりません。

  ところで俳句を作るにあたり、私は常に客観の主観または主観の客観という過程を経らなけれはならない、というのが自説です。一見難解そうな理屈をこねていますが、何のことはない人間というのは、所詮「絶対主観」でしか物事を捉えることしか出来ません。「客観」というのは「想像」することです。この「想像」というのがつまり、自分を分析するのにも威力を発揮して、自己分析が可能になります。他人の立場になって云々、というのもつまりはどれだけ「想像」が出来るか、です。今の世の中「想像」することを忘れています。だから陰惨な事件や国家間紛争が起こるのです。。

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