ふていき コラム


第17回(2004.08.18)

「感動」という仕組み

 過日、障害者で障害者運動の草分けで、俳人の花田春兆先生の主宰「しののめ」で思わずアツくなりました。乃南アサの「窓」という小説を肴にそれぞれ意見を出し合っていたのですが、健常者のメンバーが異口同音に主人公の障害者の健気な生き方に「勇気付けられ感動した」と述べるものですから、私は腹が立ってきて「僕ら障害者は障害を負いたくて負ったのではない、ましてや人々を勇気付け感動させるために生きているのではない。」と怒鳴ってしまいました。
 
 「感動した」という感情の背景には障害者を己より下、という無意識の意識があるのではないかと。だいたい題材がよろくない。乃南アサは三流作家で、障害者を小説の道具としてしかとらえていない感じがします。障害者をよく研究しているのは誉めてあげますが、登場させ方に必然性を感じない。なんで障害者を主人公にミステリーを書くの、って感じです。乃南アサはまだマシな方で、モロ道具として障害者を登場させる作家は多い、と花田先生がおっしゃっていました。ついでに、直木賞は大衆文芸で芥川賞はもうちょっと上品、ともおっしゃってました。
 
  確かに田辺聖子の障害者の描き方は「人間」として描いていて、たまたま障害を負っているだけで、あとは健常者となんら変わらないという描き方で違和感なく読めました。「ジョゼと虎と魚たち」を読んでの感想です。



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