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私の俳句観などを述べてみたいと思います。
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| 私と俳句の接点は |
| 高等学校の時分に、現代国語のテストで俳句の実作出題が出まして何かを作ったのが 始まりです。それ以降5、6年あまり接点のないまま過ごしていたのですが、ある時俳人と言葉を交わす機会に恵まれ、「俳句は言葉が最重要だ」との論に「いや感性が最重要だ」と愚にもつかないことを言ってしまいました。「なら君もひとつ俳句をやってみないか」ということになり、句会に参加させていただいたのが本格的な出会いでした。 |
| 師匠のこと |
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私の師匠は石田波郷の愛弟子のおひとりで、波郷にまつわるお話を時々してくださいました。我々弟子は目を輝かせて拝聴したものです。高名な波郷のエピソードなどはそうそう聴けるものではありません。ましてや近しかった人からじかに聞けるのです。その師匠も先年他界されました。 |
| 私の俳句観 |
| 波郷の言葉に「打坐即刻」という言葉があります。また「俳句は文学ではない」という言葉があります。私も同感です。ですがこれについては講釈をするつもりはありません。無意味だと思うからです。生きることについて講釈なぞなんの意味も持たないのと同値であるからです。
ですがこれでは皆様も得心なさらないでしょうし、サイトを作った意味がありません。「俳句は日記である。」これにつきると思います。日常においてどんな些細なことでも俳句にしていくと、新たな感動や発見があり、生活に張りや潤いができます。はじめは季語や切れ字などは考えずに、5・7・5の17文字にしてみると良いでしょう。まず俳句のリズムをつかんでください。 |
| カタカナについて |
| カタカナを問題視する向きがあります。それはそれで説得力があり否定はしませんが、これから先の事を考えるとそれに固執していたのでは時代に即さない表現形式になってしまい、俳句は死んでしまいます。俳句の歴史は400年あります。時代に即応してきたからこそ生き延びてきたのであり、現在もなお愛好されているのでしょう。 |
| 季語について |
| 季語についても同じような所見です。ですが、なんでもかんでも「季語」とするのはいささか乱暴な気がします。「季語」は、社会生活や慣習等に馴染んではじめて季語に規定すべきでしょう。本当に社会生活に馴染んだかどうか慎重に見極める必要もあります。 |
| 書式について |
| 時々分かち書きにされて紹介されますが、主に俳句に接したことがない人にもわかりやすく説明するためです。一方で分かち書きをすることで独特な詩的表現を出す、というやり方もあります。 |
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自句自解について |
| 俳句の解釈は千差万別で良いと思います。自句自解は滅多に致しません。 |
| しめ括りとして |
| 俳句はこれからも親しまれていくと思います。その時代の風俗・習慣などはその時代に生きた人しか詠め得ません。この点を外して俳句を論じることはできません。俳句を詠むということは、その時代を生きるということなのです。 |